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大阪・河内地方の人々の性格と恋愛観

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河内(かわち)と聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?

河内音頭?河内平野?河内おとこ節?あるいはガラの悪さ?(笑)

河内地方というのは、主に大阪府の右半分を指します。北は枚方市から南は河内長野市、千早赤阪村まで。実に広範囲です。

大阪府というのは明治時代に、旧摂津国、河内国、和泉国の3つが併合させられて作られた自治体です。それぞれ、摂津・河内・和泉の3つの地域は、それぞれお互いの交流がそれほどなく、性格もかなり異なっています。
ですので、「これだから大阪人は〜」とひとくくりに語ることは、実は誤りなんです。一般的にメディアでうたわれる大阪人とは、道頓堀周辺の大阪市中央区・浪速区周辺の人々のことをいいます。彼らも、大阪という巨大な都市のうちの一地方の人々です。ですので、一概に道頓堀=ミナミ周辺の人を大阪人とよぶのはふさわしくありません。
話は戻りますが、河内国の中心部は八尾市です。河内は今でも北河内、中河内、南河内でわかられており、

北河内=枚方周辺(京都のそば。京阪電車沿線)

中河内=八尾・東大阪周辺(近鉄奈良線、大阪線周辺)

南河内=羽曳野・富田林・河内長野周辺(南海高野線や近鉄南大阪線沿い周辺)

から成り立っています。

実は、この3つのエリアでもそれなりに違いはあるのですが、今回は全てひとくくりにし「河内地方」と呼び、彼らの性格に迫ってみたいと思います。

河内=ガラが悪い、は本当か?

いきなりこのようなテーマで恐縮でございますが(笑)、河内=ガラの悪い地域という悪名が世間では広がっています。

この主たる原因は、戦後に活躍した僧侶作家の「今東光(こんとうこう)」氏の影響が強い。彼が書き続けた「河内シリーズ」の作品では、ガラの悪い河内の田舎者が暴れまわる光景が描かれています。

これは明らかに偏見に満ちた作品たちです(涙)。今東光氏は横浜出身で、以前僧侶として八尾の小さな寺院に赴任したことがありました。その際に八尾周辺で見聞きした人間模様が、作品に投下されているというのです。

勝新太郎氏が主演した「悪名シリーズ」も、河内のやくざ者のストーリーです。確かに見応えがありますが、残念ながらこのような映画のおかげで、河内=ガラの悪い地域という風潮が世間一般に伝わってしまいました。

実際のところは、そんなにガラは悪くありません。筆者は非河内人ですが、客観的に見ても河内の人々は、そこまで怖くはない。

ただし言葉遣いは少しきたない。「何してけつかんじゃい!」という具合に、荒い言い方が多いのは事実です。

ただし「言葉の荒さ、美しさ」というのは何を以ってのモノの見方なのでしょうか?

おそらく商人言葉である摂津国船場エリアの「船場言葉」との比較において、河内弁が汚い、ということなのだと推察されます。確かに船場言葉は、ある意味女性的で、控えめな、商人同士の駆け引きの言葉です。一方、河内弁は農民の言葉なのです。この点、詳しく見ていきましょう。

河内国は、農民独立国家だった

摂津国大坂という街が、商人たちで構成された「商都」だったのに対して、河内国は完全なる農民独立国家みたいなところでした。

これは江戸時代でも同様です。普通、江戸時代には各地に藩がありました。一国一城令が発布された後は、藩の中心地にお城(あるいは陣屋)が築かれ、その周辺には城下町が成立しました。そこには武士が全体的に偉ぶり、農民たちを統治する形が取られていたのです。

ところが河内国には、藩主は殆ど居なかった。現在の松原や大阪狭山市に藩はありましたが、超弱小藩であり、小さな村の村長レベルでした。これらの藩は参勤交代で江戸へ向かうことさえままならないほど貧しく、苦しみの中粟飯などを食べながらしのいでいたと言われています。

いわゆる「本河内」と言われる河内の本場である八尾周辺というのは、幕府直轄領の「天領」であり、藩の支配は及んでいなかったのです。

幕府で働く幕臣、すなわち旗本や御家人の領地が河内国に作られていました。東京は江戸に住む幕臣が、河内国へ見に来ることは、人生のうちで2〜3回程度です。0回の人もいました。

となれば、基本的には農民による自治が中心となります。悪く言えば、農民のやりたい放題というところでしょうか(笑)

このように、領主が東京にいたため「農民放任主義状態」だった河内国は、農民独立国家そのものであり、江戸時代260年間を通して彼らの独特な性格は形成されていったと見ることができます。

河内地方の人々の気質や性格、考え方

基本的には、それぞれの農民が自主的・自律的に生きていたということもあり、「個人主義的」傾向が色濃く出ています。

性格的には大阪人らしく話好きでオープンマインド、ただし度が過ぎれば「土足で人の家に上がり込む」ような図々しさもあります。しかし、これだけ都市化した日本にあっても、近所付き合いは根強く残っており、新興住宅街に見えるようなところでもご近所さん同士で食べ物を交換するような光景は今でも残っています。

無縁社会と成り果てた大阪市内から電車で10分程度なのに、恐ろしいほど人間関係、地域社会関係が濃厚であるのには驚かされます。

そして、摂津国の中心地であった現在の大阪市の人々が「商人魂」なのに対して、河内地方の人々はそこまで「おカネおカネ」の考え方はしていません。

むしろ農民独立国家時代の影響からか、彼らには「農民道」のようなものが垣間見られます。

どういうことかというと、領主から放任されていた河内国の農民たちは、ただ田んぼを耕すだけではなく「商品作物」をたくさん作るようになりました。特に「河内木綿」は昔から有名な商品作物のひとつです。

この河内木綿の製造は、江戸時代も中頃、末期に入るにつれて「自宅での内職」から「工場労働化」を遂げていきます。

河内地方はこのように、「農民による工業化」がいち早く進んだ地域でもあったのです。その工業化された工場で大量生産された木綿などを売りさばくのが、河内国からほど近い摂津国船場の商人たちだったのです。このように、製造=河内、販売=摂津船場、という図式が江戸時代にちゃんと成立していたのです。

現在では、河内の真ん中である東大阪市は、日本一の規模を誇る中小企業密集地帯です。これらの多くは零細の「ものづくり」企業。ネジから金属加工まで、幅広い製品を手がけています。これらの工場で作られた商品が、現在でも大阪市内の船場エリアの商人によって日本全国、世界中へ移出、輸出されているのです。

話はかなり大きな話へと変貌してしまいましたが、結局のところ河内国の人々は「農民道に徹する」というスタンスがお分かりいただけたかと思います。ただ、農民とはいえ「独立自営の農民」であるため、農業の延長線上で商品作物(=現代のものづくり)を行い続けてきた点が注目されます。

河内国の人々の恋愛観

河内地方は、現在でも大学進学率が大変低いエリアです。これは、エリートひしめく摂津国とは非常に対照的です。

彼らは「地域に生まれ、地域で働き、地域の土になる」という考えを心の根底に有しています。だから、地元愛がとてつもなく強い。

また今でも地元での知り合いを通じた見合い婚が盛んに行われています。それだけ地元での人間同士のつながりが強いという証拠です。

ただしこのご時世、自由恋愛はやはり増えてきていますので、河内の人々と他所のエリアの人々との恋のハードルは低い。

ただし彼ら・彼女らが熱烈な地元愛を持って生きていることだけは忘れないでください。

大学進学率が低い=地域にとどまる、という図式は全国的に見られる傾向です。もし賢(かしこ)の人間であれば、面倒くさい人間関係から離れて、東京の一等地などに住んでバリバリ働く道を選びます。そうではなく、あくまで「地の人間」として生きる道を選択しがちな河内の人々には、それ相応のプライドと愛郷心があるものと見るべきです。

かかる現状を踏まえた上で、彼らとの恋愛を行って下さい。

ちなみに河内の女性の性格としては、「大阪市内の大阪人よりもおしゃべり好き」「女性は20代からホンモノの大阪のオバちゃん」という特徴があります。

男も女も、とにかくフレンドリーで情に厚く、夏になれば河内音頭に命をかける!という風潮が今でも残っています。

また何事にも「愚直」なまでに正直な性格が興味深い。特に河内の男性にこの傾向が強いです。船場商人のような「口八丁手八丁の嘘八百」などを嫌い、とにかく任侠道のような「筋を通す」を大事にする性格です。

地元をこよなく愛しながらも、大阪人的なアイデンティティを持つ河内の人々は、実に魅力的です。

 

まとめ

河内の国といっても実に広範囲です。冒頭で申しましたように、北河内、中河内、南河内では多少性格にも違いがある。

それでもこの地域に共通するのは、「個人主義的性格」「地元愛」「正直者」という性格でしょう。ユーモアもそれなりにありますし、一緒にいてこれほど面白い人たちは居ません。何よりも人情派なので、一度仲良く信頼関係を築けば末永く深い仲でいられるのも彼らの味わいのひとつです。

河内を足で味わうには、夏の「河内音頭まつり」などに行かれてはいかがでしょうか。河内音頭発祥の地である「常光寺」の盆踊りは毎年8月23日、24日に開催されており、8月は河内エリアでは毎日のように盆踊りがどこかで開催されています。本当に、全員超熱狂的です(笑)

また南河内へ向ければ、PL花火大会で有名な富田林市には今でも、寺内町の名残深い旧市街があります。そしてなんといっても「古墳群」です。世界遺産登録を目指した古墳群は、羽曳野・藤井寺市を中心に点在しています。観光地としても、そして人間とのふれあい面においてもまだまだ潜在的な魅力たっぷりな河内を、ぜひご堪能くださいね。

 

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