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知られざるインドネシア華僑たちの暮らしぶりについて〜②華僑たちのビジネススタイル

2016/09/09

suhartolim

人口2億4000万人の国にあって、そのうちわずか3%しか占めていない華僑が経済の9割を握る...。

インドネシアとは、華僑の影響力が強い東南アジアにおいても、非常に特異な経済構造にあることを、前回記事にてお話しさせていただきました。

今回はそんなインドネシア華僑たちのビジネススタイルやビジネスモデルについて見ていきたいと思います。

 

華僑ビジネス前史

インドネシアの華僑たちを街角で見かける時、彼らは一体どこで働いているのでしょう?

同国の華僑人口800万人のうち、その大半が個人商店の経営者です。個人商店というのは文字通り、法人格であれ個人事業主であれ、それほど大きな規模のお店ではありません。

戦後にオランダから独立して建国されたインドネシア共和国では、とにかくインドネシア現地人系の雇用を最優先しました。そのため、華僑たちは学者や大企業のビジネスエリートを除いては、なかなか普通の仕事に着けなかった。とくに地方公務員などへの就職では凄まじい民族的区別が為されたといいます。

現在の800万人の華僑のうち、その多くは「100年前前後」に中国・福建省から移民してきた人たちです。最初にインドネシアへ移住した際は、オランダ植民地時代ということもあって「単純労働者」として職務につきました。その後、やはりその利ざとさや機敏なビジネス感覚から、そこで働く中国人向けに水や食べ物を売るビジネスを行ったり、また近所の農家で採れた余った野菜などを街に売りに行くなど、極めて原始的なビジネスを行うことで徐々に力をつけていったのです。

太平洋戦争がはじまった1941年以降、日本軍がジャワ島へ進駐してきた際には、すでに華僑たちの経済基盤は十分に完成されており、日本軍にとっても驚異的な存在だったといいます。華僑たちは「インドネシア華僑会」などを立ち上げ、中国本土の国共合作運動を支援すると表明までしています。まだまだ当時の華僑たちは故郷である中国本土への愛郷心が強く、ちょうど日中戦争まっただ中であったことからも、彼らは日本の当時の敵国である中国の味方をしていました。

第二次世界大戦が終わり、オランダからの独立戦争も終わると、華僑達は政府によって徹底的に差別政策を取られることになります。例えばスカルノ大統領(デヴィ夫人の旦那)が失脚しスハルト大統領になると、中国語看板の禁止などが明文化され、華僑たちは文化的にも追いつめられていきました。

というのが表面上の歴史えすが、実際にはスハルト大統領は、友人である華僑ビジネス界最大勢力であるサリムグループと二人三脚で国家運営を行っていました。林紹良(スドノ・サリム)氏は、東南アジア最大規模にまで成長した大財閥のトップです。2012年に死亡されご子息が財閥を受け継ぎました。彼自身は福建省・福清市出身です。

スハルトという「華僑弾圧制作」を行う政権を、最も支えつづけたのが華僑界のボスであったことは大いなる矛盾です。要するにスハルト政権は、反華僑を掲げることで、インドネシア現地人たちの人気取りをしていたのであり、実際には華僑の力なくしてインドネシア経済は成り立たなかったのです。

その後スハルトが退陣し、ハビビ大統領が就任して以降は、漢字の使用を解禁するなど華僑への融和策が図られるようになりました。

ユドヨノ政権では初めて華僑女性が商務大臣に就任しましたし、現在のジャカルタ州知事(東京都知事なみの超強大権力者)はバリバリの華僑男性がその重責を務めています。華僑差別は次第になくなってきたと見るのが正論といえます。

 

800万人の華僑のうち、その大半は中小零細企業経営者

よく華僑たちは大金持ち思われがちですが、これは華僑800万人のうちの1万人にも満たない人々を指します。

残りの799万人の華僑たちは、華僑ゆえにろくな仕事に就けなかった(=就職差別をされた)人たちが、仕方なく個人商店を立ち上げて現在に至る、というのが殆どなのです。

収益はスズメの涙でしょう。日本の普通の飲食店や服屋さんと、そう変わりません。インドネシアの地方都市の商店街などを歩けば、マッサージ屋からおもちゃ屋、レストランに至るまで、「庶民華僑」による経営風景が見られます。

彼らは商店の一番奥に陣取って事務活動を行っています。一方、店内でせっせと接客や荷入れなどをしているのは現地人たちです。華僑自身がが「作業員」「スタッフ」になることは殆どないのが実情です。

 

ビジネスモデルは、卸売と小売が肝

華僑たちのビジネスモデルは、やはり卸売と小売です。彼らはとにかく、福建省同郷人同士の意識が強く、ジャカルタから遠くスラバヤまで(東京から沖縄くらいの距離)の荷物の輸送も、華僑同士の信頼関係で難なくこなします。ジャワ島のみならず、他の小さな島への物流も華僑ネットワークで上手にやり過ごすのです。

華僑は基本的には、商人です。ですから、卸売と小売が彼らの主戦場となります。

一方で、「ものづくり」すなわち製造業にはめっぽう弱い。ジャカルタ近郊にはたくさんの工業団地がありますが、これらの工業団地の多くは日本企業や韓国・台湾企業によって経営されています。そう、インドネシアは製造業がつい最近まで未発達だったのです。

インドネシア伝統文化である、衣服のバティックなどは中部ジャワ地域で主に生産されていますが、縫製技術はやはり伝統産業ということもあり現地人の手中にあります。

インドネシアに世界中から色々な製品、食品が物流するにも関わらず、「自国製品の製造」がままならない...。

そういう背景から、インドネシア政府は日系製造業の進出を長年促進し続けていました。

もちろん、日系製造業がインドネシアへ進出する際には、そのコンサルティングや総合的なマネジメントは華僑が行います。

まさに華僑は、「ものづくり」以外はなんでもやってのけるという特色を持っているのです。

 

まとめ

華僑のビジネスモデルは、今も昔も「商人」です。商人と書いて「あきんど」と読みますが、まさに日本でいう船場商人、近江商人のような、たくましく全国津々浦々の物品を売り歩いたり、相場操作などを行って大儲けをするのが華僑の強みなのです。逆に、製造業の弱さは非常に際立っています。

最近では華僑たちがITに弱いことが露呈しつつあります。それゆえに、ITのスタートアップ企業やスマホアプリ企業、ECなどは、現地人系の若手が担っています。

今後の華僑ビジネスはどのように変容していくのか?いずれにせよ、華僑なしでは日本人もインドネシアではビジネスすることはほぼ不可能ですので、彼らへの注目の視線は集まるばかりです。

次項は③華僑の日常生活スタイルや若者の動向についてです。あわせてご覧ください。

 

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